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音楽ノート  作曲家の軌跡

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Iオットリーノ・レスピーギ:音の構築 オットリーノ・レスピーギ(1879-1936)は、20世紀イタリアの器楽音楽における最も重要な代表的作曲家の一人です。ボローニャに生まれ、1900年から1902年にかけてサンクトペテルブルクで和声および技術的な基礎を固めました。帝国ロシアオペラのオーケストラで首席ヴィオラ奏者を務める傍ら、作曲家ニコライ・リムスキー=コルサコフの指導のもとで管弦楽法(オーケストレーション)の研究を深めました。この時期に彼は、オーケストラという音響の集合体における音響密度の制御や、音色の数学的な配置に関する高度で構造的な手法を習得しました。 その後ローマに定住し、サンタ・チェチーリア音楽院の作曲科教授に就任、1924年から1926年にかけては同音楽院の院長も務めました。この学術的かつ創造的な環境の中で、レスピーギは有名な「ローマ三部作」(1916-1928)の作曲を通じて国際的な名声を確立します。『ローマの噴水』、『ローマの松』、『ローマの祭り』というこれら複雑な交響詩において、彼はオーケストラのインフラストラクチャーを新たな音響的解決へと押し上げました。旋法音階に基づく進行の使用や、金管楽器のセクションを舞台外に配置することによる音の指向的空間化、さらには蓄音機を用いた先駆的な電子機器の導入など、重要な技術的革新をもたらしました。 交響的な実験と並行して、レスピーギは体系的かつ厳密な音楽学的研究も行いました。『リュートのための古風な舞曲とアリア』などの作品を通じて、ルネサンスやバロックの多声音楽(ポリフォニー)の本来の対位法的な構造の復元に取り組みました。同時代の十二音技法の潮流に流されることなく、彼は技術的な再構築のプロセスを実践しました。すなわち、前古典派の音楽形式を抽出し、近代の交響楽団が持つ高い負荷能力と幅広いダイナミックレンジを活用しながら、それらを20世紀の和声的建築の中に統合したのです。彼の功績は、1936年にローマで逝去するまで、イタリアにおけるポスト・ロマン派の管弦楽法のパラメーターを再定義するものでした。

オットリーノ・レスピーギ

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